

衣食住をバックパックに詰め、一泊二日で新潟県の火打と妙高周辺を歩いてきました。
火打山や隣接する妙高山。どちらも言わずと知れた名峰であり、日本百名山。
この山域を歩きながら心から感じたのは、"頂きを必ずしも踏まなくたっていい"ということでした
一番のハイライトは、日の出間近の「天狗の庭」。
まだ薄暗い空気の中、鳥たちのさえずりが響き始めると同時に、静かに立ち昇っていく朝靄。
澄み切った池塘(ちとう)の景色を目にしたとき、言葉にならない感情がこみ上げてきました。
生きること。
生まれること。
呼吸すること。
そして、ただ全身で感じること。
そこには、生命のすべてが凝縮されているような世界が広がっていました。
こんなにも身近に、こんなにも美しく、自然はただそこに在るのだと。

そしてもうひとつ、忘れられない時間があります。
黒沢池ヒュッテから池尻へと向かって歩いていたときのことです。
目の前に突如現れるのは、山の上だということを忘れてしまうほどの圧倒的な大草原。どこまでも広がる自然の平原であり、まるで神様が造った庭園のようなその空間の向こうに、雄大な黒沢岳の山肌がどっしりと聳(そび)え立っていました。
見上げると、その巨大な山肌にゆったりと映し出される、雲の動きとその影。
どこまでも続く開けた平原を歩きながら、風とともに表情を変えていくその美しい影のグラデーションに、吸い込まれるように引き込まれていきました。
「このまま、永遠にここを歩いていたい――」
ただ歩くことそのものが心地よく、時間の感覚さえ消えていくような感覚。ゴールという到達点を目指して足を早めるのとは違う、自分がその雄大な風景の一部になっていくような、贅沢な時間でした。

山頂を目指す楽しさや、登頂の達成感を否定するつもりはまったくありません。それもまた山の素晴らしい魅力のひとつです。
けれど、「山頂にこだわらない」からこそ手に入る、とびきり豊かな体験がある。今回の山行は、それを確信に変えてくれる旅でした。
「何が何でも頂きに行く」という目的を一度手放してみると、山歩きはもっと自由で、どこまでも深いものになります。
目の前の光や影の移ろいに立ち止まり、鳥の声に耳を澄ませ、ただそこに居る時間を味わい尽くす。
山頂を踏むことだけが山の全てじゃない。
目的地に縛られないからこそ出会える贅沢な時間が、山にはちゃんと広がっています。

目まぐるしい情報に追われ、慌ただしく過ぎ去っていく日常。
気づけば大切な感覚を見失ってしまったり、夜空を見上げるゆとりさえ奪われてしまったりすることがあります。
まるで「いつの間にかに盗まれた星たち」を取り戻しに行くように。
僕たちは山に入り、自然の懐に身を置くことで、一度自分をリセットするのだと思います。
僕たちがSUNDAYというお店を通して伝えたいのは、決して誰も真似できないような「特別な挑戦」や「特別な体験」ではありません。
ただ、自然の中に身を置き、歩き、佇むという「アウトドアの遊び」を通して、ふと大切なことに気づくこと。
そして、それと出会えたおかげで、日々の人生がほんの少し、けれど確実に豊かになっていくこと。
まだ山の遊びに出会ってない方に
『山はいいですよ』と、そっとお伝えすること。

今回の火打山での時間は、自分たちがなぜこの場所(SUNDAY)でアウトドアの遊び方を提案しているのか、その立ち位置や原点を改めて深く見つめ直す機会になりました。
世の中はどこか、「分かりやすい目的地」や「ゴール(到達点)」を持つことばかりを求めがちだったりします。
でも、アウトドアの遊びって、どこかに到達することだけが目的じゃないはずです。
ゴールという結果よりも、そこに至る途中で息を吐き出し、足元の景色に目を奪われ、ただその場所に佇む時間。その「過程」すべてが、僕たちを満たしてくれる最高の瞬間だからです。
途中で立ち止まり、足元にある豊かな時間を感じること。それもまた最高のアウトドアの楽しみ方です。
もし今、何かに追い立てられていたりし、ブルーなことがあるのなら、ぜひ火打や妙高の懐にある美しい湿原を歩いてみてください。
山でリセットした心地よい感覚とともに、お店で皆さんとそんな「自由で豊かな自然の遊び」について語り合えるのを楽しみにしています。
最後まで読んでいただき心より感謝いたします。ありがとうございます。